うーむ。。。。「憲法9条こそ守らなければならない」について。。。

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ま、いろいろな立場の人がいて、いろいろな解釈、思想の人がいるので、それに関してはそれぞれ議論して欲しいと思うのですが、この方、

憲法9条こそ守らなければならい 侵略されたどうする? – 弁護士 猪野 亨の …

というエントリー。本人は100%正しくて、違う意見の人が間違っている的な、よくありがちないかにも弁護士的な記事を書いてらっしゃいますね。

「今日の憲法9条に関する争点は自衛隊が違憲かどうかではありません。集団的自衛権の行使として海外に自衛隊を派兵することの是非です。」

という部分には概ね同意。ただし、この手の話をする方がみな同じこと言う一言。

「現状において、ロシア、北朝鮮、中国が日本国領土に武力侵攻してくるとは到底、思われません。北朝鮮には外国の領土に軍隊を侵攻させるほどの国力などありません。」

という部分。根拠がわかりません。しかもこれだけ緊迫している状況でのほほんと平和ボケしているかのように断定している。世界各国でテロや戦争の火種が起きているというのに、なぜ【日本だけ】がその可能性がないときっぱり言い切れているのでしょうね? もっと言うと「そんな大きな津波なんか来るわけない(そんなこと心配してるより操業(そして利益)のことを考えろ)(略)」「うちの子に限って。。。(略)」というのとなんらかわりませんね。

 

その危険性を踏まえた上で9条を語るならもっと違った感想を持ったかもしれませんが、所詮本人自身が指摘している憲法9条改正に賛成の人が漠然と言う

「日本が周辺諸国(北朝鮮と中国が念頭にあるのでしょう。あるいはロシアも含めているか?)に侵略されたら、どうするんだ!」

と、なんら変わりませんね。さらには

「私自身は、憲法9条がある以上、自衛隊は憲法違反として、縮小、解散すべきと思います。いじめ問題やセクハラ問題が一向に解決できないような自衛隊組織では、もはや軍隊としての役割も果たせないでしょう。解散してしまったらよいのです。」

と宣う始末。論点をずらしているのは貴方だと言いたい。

理想論は置いといて、まずは現実は現実として把握した上で議論すべきだと思うが。。。

補足:

意見したので個人的な考えも書いておきます。個人的にはどっちもどっちだと思います。が、やらなきゃいけないことはある。時代に合わない憲法は時代に即した形で変えて行くべきで、第9条に関しても例外なく、今後一切解釈を変えずそのまま一字一句変えずに残すべきとは思わない。いかにも島国なガラパコス的解釈で今の国際社会と情勢になじまない。個人的には「侵略戦争の完全放棄。が、自衛権に基づく交戦権は有する」という、暗に常識となっているであろう、同盟国を有する準中立国的とも言うべき状態(自衛隊を軍と明記してもいい)、つまり現実・現状をタブー視せずに認め且つそれを【制御】する方向にもっていくのが一番理にかなっていると思っている。

追記:

そういや映画「アメリカン・スナイパー」のはじめの方で、主人公の父が言うセリフに

「人間には三種類ある。“羊 狼 番犬”だ。“悪など存在しない”と思う連中は悪が訪れた時、己の身を守れない。彼らは“羊”だ。そして捕食者は弱者を暴力で餌食にする。彼らは“狼”だ。そして群れを守るため圧倒的な力を駆使する者。狼と戦う類いまれなもの。彼らは“番犬”だ。」

というのがある。ある人から見れば軍隊を肯定した上での言い訳とも映るだろうセリフだが、ここには真実がある。件の記事を書いた弁護士は間違いなく羊で、同じ羊の群れしか知らない。知っていたとしても私たちを食べるなんてことはあるはずもないという訳だ。この羊と狼と番犬の話はとてもわかりやすくそして嘘のない現実としての例えになる。狼も確実に存在する。ただし善と悪ではない。食べられるものと食べるもの、そしてバランスを見つつ秩序を守ろうとするもの。

これは地球上の生物の食物連鎖だったり、それぞれの生物、動物内でのルールや縄張り争いといった事がそのまま当てはまる。人間だけが例外であるはずがないことは歴史が示している。これも紛れもない事実だ。

「現状において、ロシア、北朝鮮、中国が日本国領土に武力侵攻してくるとは到底、思われません。北朝鮮には外国の領土に軍隊を侵攻させるほどの国力などありません。」

羊の中の羊、なにも見えていないと思わざるを得ない。もっと言えば「現状において」と言うなら、では「いつ」その備えをしろというのだ? いや、自衛隊を解体しろといっているので「現状において」ではなく「今もこの先も」という意味なのだろう。何かあっても戦わない、何もしない、高らかに悲鳴をあげるだけ。悲鳴がまかり通る羊の群れの中しかみない。そして羊の群れを守ろうと傷つきながら戦う番犬の存在を普段は邪険にし否定するって訳だ。都合がいいにも程がある。

現代の人間社会においての羊、狼、番犬はそれぞれにそして互いにルールがあり秩序が保たれていて、言葉が通じる。が、元を正せば違う種。それぞれの正義の定義が違うことを忘れてはいけない。羊が「食べないでね!」と話せばわかるはず、話し合いで解決できるはずなんてのは相手の狼の状態だったり個体による。番犬がいなくなり、うまそうな羊の群れだけがあれば果たして狼はどこまで平静を保っていられるか。極論すれば実は生物の宿命というべきそういうシンプルなことなのだ。問題は羊だけのことではなく、もっと大きな視点で見ないと意味がないってことなのだ。

2017.8.9追記

北 日本ごときは一瞬で焦土化写真

こんなニュースも入っている。避難訓練にすら抗議する団体もあるという。「戦争・紛争なんて日本で起こるわけがない」「対話のみで全て解決できる」と、主張している人たちは「備えあれば憂いなし」という諺をわすれ、視点が極端に狭くなっていることに気がついて欲しい。そして中には準備を阻むプロバガンダな特殊任務を遂行している輩もいるかも知れない(いや、確実にいるだろうが)という危機感を持って欲しい。「平和」という言葉をうまく利用して目をくらまされているだけかも知れないという疑問を持って欲しい。それでも主張してそれを行動している人たちは何かあった時に準備・対策を遅らせた責任があるという事も考えるべきだと思う。自身に、家族に、大切な人に何かあってからでは(確実に)遅いのだという事を、もう一度よく考えて欲しいと強く思う。

そもそも憲法は平和と秩序の上に成り立っている。平和と秩序がなくなれば憲法は成り立たないのだ。

 

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