まーた一部の人間のデスク上だけで考えられた理論、だなぁ。。。

プログラミング教育が小学校から必須になるってんで、あちこちで話題となっている。学校の先生も塾の先生もその得体の知れないあたらしい教育に戸惑い気味で、さっそくそれに付け込んだ教材業者のありとあらゆる売込みが始まっているようだ。私などは単純に「なんで?そんな教育を?」と率直に不思議に思ったのだが、ま、なにか新しいことをやりたいのだなぁぐらいに捉えていたら

小学校の「プログラミング教育」にはびこる誤解 教育の専門家「何を学ぶか考えて」

という文部科学省のICT活用教育アドバイザーも務めるという平井氏の記事を見て、「うーん・・・」と唸ってしまった。

 

一見正しいようにも思える。が、これはプログラミング的思考ができる人の思い込みだ、ということには気がついていない。そう、逆に言うとプログラミング的思考が出来ない人もいるのだ。どこかに行こうと思った人が頭の中に地図を展開して進める人と、一度行った時のそれぞれの目印のみを頼りに手順で行く人との違いにも似ている。そして、プログラミング的思考が全てにおいてベストなわけでもない。これは単なるそういう一部の人たちの思い込みだ。それを一律に小学校教育に取り込むってんだから、一体何を考えているのやら、と・・・。違う違う、プログラムを組む時に大事なのは組み方やプログラミング的思考ではなくて、実社会での経験と知識と知恵だ。デジタル的思考も大事だがそれ以上にアナログ的思考がとても大事になる。

例えば、以前にも書いた気がするが知り合いの子供は、「一本のルートを2人がプログラムした車を両端からスタートさせ、相手の車をルートから外せば勝ち」のようなのがあったとして、先をとんがらせて下からすくうタイプのを作るやつもいれば、ラッセル車のようなのを作ってスピードを利用して跳ね飛ばそうと考えるやつもいれば、綺麗に素早くいち早く相手の車に向かうプログラムを組むやつもいる中で、知り合いの子供はギアを多くしスピードは全くでないものの大きなトルクを稼ぎ出し、タイヤにかかる荷重を重くしてビクともしない車を作った(笑) で、相手がどうでようがジリジリとルートの外に押し出すというものだ。実に賢い。このように実際には目的は何かを見極め、「トルク」や「タイヤにかかる荷重」というプログラムとは違う知識を持っているか否かが大事になる。左脳的アプローチというより右脳的アプローチの方がいい場合もある。

決められたルートを制御するプログラムを書けるようにすることがプログラミング的思考を養えるとは思えないし、そもそもプログラミング的思考が万全だとは思えないし、それができることと出来ない子の格差が大きくなるだろうなとうのもたやすく想像できる。間違っているとは言わない、けど、小学生全員に必要なことかというとそうも思えない。そんなことより社会性や道徳感が少なくなり残虐性すら垣間見えるようになってしまった昨今の子供の教育や家庭のありかたといった根本的なところに取り組むべきではないかと、思うのだが、どうしてこうもズレているんだろうなぁ、周りにいるアドバイザーがズレているんだろうなぁ、きっと。

そりゃ「はびこる誤解」が蔓延してもしょうがあるまいて。。。

とか思う今日この頃でした。うん。。。

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