SNSやめて良かったと本当に実感(チラ裏なコラム)

TwitterとInstagramはまだアカウントを持ってますが使ってません。他のSNSと呼ばれるものはやってたものを含め一切切りました。

きっかけは以前にも書いた通り極度のSNS疲れです。

あれから1年。生活はどうなったか・・・。

 

心安らかになり、時間が増えた

一番はコレです。SNSをやってなければ本来触れることもない、どうでも良い写真・話・情報、嘘の話・情報の拡散、神経に触る写真・話・情報に晒され続け、実際に振り回されているのだと、実感したわけです。年賀状にそんなに親しくもない人の子供の写真年賀状、家族のディスニーランドの写真の年賀状を送りつけられる苦痛は年に一回だから我慢できるものが常時あるわけです。そして私を含めた日本人の悪い癖「反応しないと角が立つ」と思い何かしらのアクションを結果的に半強制的にさせられることになるという状況。

楽しいなと思うことも多いので、ついよくわからなくなるんですけど、冷静になってみると本当に無駄なやりとりと無駄な時間です。

嘘だと思うかもしれませんが最低で2時間、多くて4時間は違います。その分、リアル世界で違うことに没頭できます。

本当に必要な人から必要な連絡があるだけになる。

昔、BBSにどっぷりハマってた頃は面白かった。当時はパソコンというものを使う人というのがある程度限られたので、必然的に盛り上がったりすることになるのだが、今はその垣根が無いというのも、疲れる原因の一つになっているのだと思う。「アラシ」と呼ばれる特定の「バカ」もいたのだが淘汰されるぐらい秩序だっていた。が、今は、・・・言い方は相当に悪いのであらかじめ「ごめん」と謝って置くが、バカで頭の悪い奴ら(成績の話ではなくて)が大量に増えたのだ。

思想のある人もない人も、頭のキレる人も悪い人も、なんでもありで、精査されることも誰かにチェックされることもなく、善意も悪意も織り混ざって、流れてくる。その点でTVやラジオなどのメディアと圧倒的に違う。身構えることができない。不意を突かれるのだ。

それがどうだ、それらを排除すると、静かで平穏な事。趣味に没頭する時間が大幅に増えた。

リスクをしらない人が多すぎる

InstagramもFaceBookもLINEもリスクがある。写真一つとっても、GPSの記録だったり、それこそ背景だったりで場所を特定することは可能だ。そこまで気を使って写真をUPしている人は少数だろう。

文章にしてもそうだ。独特な文化を持つ2ちゃんねるは別として、ネット社会でのルールや人間関係がある。実社会とは別に、だ。が、それが連動してくるリスクも背負っているのを忘れている。不用意な発言・記事・写真は自分だけでなく、他人をも巻き込むことになることだってある。

完全否定はしない。でも、自身に本当に必要なのか一度じっくり考えても良いと思う

それが当たり前になって来つつある。やらないと遅れているなんてバカな理論をぶちまけられることもあろう。いや、最先端で賢い人はアカウントだけもって情報収拾だけしている人だ。そうでない人は単に流行りだからという理由でやっているに過ぎない。そして本当はそんなに楽しんでもいないのに楽しんでいるフリをしている人だっているはずだ。

いつも思うがウザいと思うことはあっても便利だとは一度も思ったことはない。例えば学校や父兄の、もしくは会社や地域の連絡網がひっきりなしに来ると思うとどうだろう。ウザい。仲良しグループでグループチャットも楽しいだろう。が、いつしか個人の都合は無視されグループチャット優先になる事も少なくない。

BBSの頃にあった、ルールやネチケットは今は無い。混沌があるだけだ。そこに身を置くのだ。果たしてこれが本当に便利というのだろうか?

意思疎通なら電話が一番良い。連絡ならメールでもiMassageでもすむ。iMassageでグループ連絡もできる。つまりそれ以上は実際には実生活において不要ってわけだ。が、誰もそこに気がつかない。

SNSの利点をちゃんと把握して便利に利用している人も確かにいる。一握りだが・・・。

ネタを探すようになる

上二つに関連するのだが、SNSにUPするものを探すようになると末期だ。本来SNSは日常を確認し合う程度のものなのだ。それがいつしか「Instagram映え」するスポットに行って写真を撮りアップするなんていう本末転倒な事象が起きるのだ。FaceBookもLINEもアップすることがなくなり、「最近元気なの?」とか聞かれて「あぁ、なにかアップしないと’・・・」とそのうちTwitterのようにどーでも良いことを呟くようになる。それが多人数になると強制的にみせられているこっちはウザいだけだ。Tiwitterなら最初からたんなる個人の呟きととらえているし、時系列とともにわーっと流れていくし、見たとか見てないとか気にしなくて良いから、からそこまでウザくはないのだが。

ここで気がつく。一切ここに生産性はない。プラス要素が超少ない。

SNSやらないで困ってないのか?

困ってないねぇ全く。困るはずないじゃんw SNSが無くたって生活できるんだから。そもそもSNSが流行りだす前だって困ってなかったじゃん。依存し過ぎだろうよ。SNSが無くて困るなんて思い始めたら末期だよ。社会不適合まっしぐらだ。SNS利用はバランスと本人のセンスが大事。本来は便利に使って、実社会をよりよくするというものであって、SNSありきじゃ決して無い。

政府がLINEを後押しするような動きがあるのも、あほらしくて見てられない。本当になにもわかってないと思わざるを得ない。エヴァの人類補完計画なんて誰も望んじゃいない。NARUTOの月の目計画なんてだれも喜ばない。(意味不明)

そんなわけでやっぱり困ってないねぇ。。。

Appleの重鎮 ジョナサン・アイブだって言ってるぜw

ジョナサン・アイブ氏が語った「iPhoneの間違った使い方」 によれば間違ったiPhoneの使い方は【使いすぎ】だそうだ。深い。深いねぇ。。。

WindowsからMacに切り替えて16年。総じて思うのは【Macは仕事の道具】足り得る。WindowsはOSに振り回される事が多くて道具足り得ない。同様にiPhone/iPadも実はそうなのだ。何かをするための補助的な道具。しかもマルチツール。それがどうだ。SNSを筆頭に常時振り回されている状況は本来のiPhoneの便利さと実生活での豊かさをスポイルしているとも思える。SNS端末でもあり、ゲーム端末でもあるが、それ以外にもいっぱい使い道はあるのだ。誰とは言わないが、仕事中/OFF関係なくしょっちゅうiPhoneに流れてくるLINEメッセージをチェックし返信している人が居た。あまつさえ打ち合わせや会話の途中でもLINEしていたその様はかなり失礼でそしてその姿はかなりかっこわるい。でも当人は気がつかないんだよね、多くの場合。これを見て「え゛〜! それは無いわ!」と思った人、よくよく振り返って見て、自身にもそういう経験がないか、考えて見てほしい。

SNSやめて情報不足にならないのか?

なるわけないじゃんw もともとどうでも良い情報で、ウソかホントかわからない情報だしね。自分で探して自分で検証して見極めた情報の方が遥かに価値がある。もともとそうだったし。

そういう意味ではオタク度が高い人のブログ記事は超貴重な情報源。ググって出てくるものはほとんどがそうだしね。Wikipediaのもっと大きなもの、とも言える。だが、自分でも検証することは必要。鵜呑みにしない事も当然必要。他、新聞だってTVだってある。情報に事欠くことなんてない。

 

・・・と、こう、ネガティブなことは次から次へと実感として出てくるのだが、ポジティブなことが全く浮かばないんだよねぇ。人との繋がりという事に関しては不必要なゴミを整理して最適化していくとiMassageと電話とメールで十分、情報という部分に関してはもともと情報たりえん、というのが私の今の結論。

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