ITmediaの記事「iPhoneやめました」について

いやぁ。既にあちこちで話題になっているようです(^^; 記事を書いたのはBusiness Media 誠というITmediaが発行しているメールマガジンの編集長である吉岡綾乃さん。詳しくは「iPhoneやめました」を読んでもらうとして、そもそもトリガーはこのタイトルセンスがダメだったのではないかと思っています。ストレートに書けばこのタイトルからは皮肉たっぷりな感じがどうしてもするので、反感買うのは致し方ないと。それでもここでは出来る限り公平な第三者的なスタンスで書きたいと思いますが実際にiPhoneを愛用しているので養護的なスタンスになってしまうのは予め勘弁してください。でもできる限り彼女の(失礼ながら以下そう表記させて頂きます)考えも尊重しているつもりです。

私はiPhoneが世に出てからずっと言っているのだが「iPhoneは必要とする人には最適だが、必要としない人には使いにくい。言い換えれば、より進んだポケットガジェットを求めている人には最適だが、所謂日本のケータイを必要としているには向かない」。今回のこの記事はまさに私の理論(?)にドンピシャ当てはまる。彼女はiPhoneを1年使ってみて個人的には使いにくいと判断しケータイに戻った。それだけの事である。iPhoneに対する評価は当然人夫々でよいと思う。が、

”iPhoneがなければ致命的なシーン”は一度もなかった

これに関しては他のブログで既に叩かれているように使いこなせていないだけだったのだという感じがどうしてもします。そうでなければ最初からiPhoneというものを斜に構えて見ておりある程度距離を置いてしか使えていなかったか。これは書かなくて良かったことだと思います。どうしても言い訳にしか読めません。

「iPhoneでできることは(基本的に)PCでもできる」

多くのiPhoneユーザ読者がひっかった部分がここではないでしょうか。この一文で「あぁ、この人はiPhoneを理解していない」と思ったことでしょう。確かにiPhoneで出来ることはPCでも出来ます。が、PCで出来る事がiPhoneで出来る【超メリット】に関しての部分がメールや通信だけに限られてしか記述されていないことから察するに殆ど使わなかったか、考察・テストされていないか、彼女の仕事・生活においては必要なかったのだと思います。この記述は非常に残念です。編集長という立場の人が書く一文とは思えません。で、さらに追い討ちをかけるように

普通の携帯にできて、iPhoneにできないこととは? 以下、使っていて気付いたiPhoneのデメリットを5つ書こうと思います。

と、やっちゃった訳です。「あちゃー!」と読み始めた瞬間に思いました。これ以降の文章にはなんの意味もありません。所謂日本のケータイ派である彼女にとってのiPhoneオンリーにした場合のデメリットが書かれているだけです。これ、やっても意味ないんですよ。そもそも日本のケータイとiPhoneは比べる土台に無いというか。似て非なるもの、だと私は考えています。読めばすぐ気がつきますが、それほどまでのおサイフケータイヘビーユーザなら、それほどまでボタンに拘るなら、そもそもiPhoneにするべきでは無かったんじゃないの?!と。

最後の文章、ちょっとつらいコメント(「『iPhoneやめました」であっさりやめれる(コメントママ)人なんて、そもそもiPhoneを何も使いこなしてない人なんですよ。その持ち歩いてるPCだってろくなもんじゃないでしょう。そして『iPhoneやめました』と公に表明する時点で知れてる人間性です」)があったらしいですが、コメントそのものに関しては個人的には人間性まで否定するのは酷いな、持ち歩いているPCの事を解りもしないで勝手に決めつけるのも酷いし、逆にコメントした人の人間性の方を疑いますが、冒頭の「何も使いこなせいない」に関しては残念ながら同意せざるを得ません。微妙に表現を変えれば「iPhoneを必要としない人だった」というだけの事。この事は最後の文章からも伺えます。

どんな携帯にもメリットとデメリットがあり、ユーザーが重視することや使う目的、リテラシーの差によって、自分に合う端末を選ぶのは当然のこと。例えば私が富士通の携帯をやめてカシオの携帯に戻ったとしても、「富士通の携帯の良さが分からないなんて、そもそも富士通の端末を使いこなせていない人ですよ」といった反応は、まずないでしょう。それは、携帯電話が誰にでも使えるものとしてコモディティ(日用品)化しているからです。

最近では女性のユーザーをよく見かけますし、「iPhoneはキャズムを越えた」と言われることも増えています。しかし、iPhoneを買ったものの使いにくいと文句を言う人に対し、ヘビーユーザーが「どういうものか調べないで買うのが悪い」「iPhoneを使いこなせていないから不便に感じるのだ」といった言葉を投げかけるシーンを、いまだによく目にするのも事実。こういうやりとりがあること自体、やはりiPhoneはまだまだ普及したとは言えないという証拠なのではないか……iPhoneを1年近く使い、そしてやめた今、私はそう思っています。

富士通のケータイからカシオのケータイへ、しいてはNECやSONYエリクソンでもNOKIAでもそんな事を言う人は確かにいません。がそれはコモディティ化しているからという分析には異を唱えます。ケータイというククリの中にあるもの同士だから、です。「やはりiPhoneはまだまだ普及したとは言えないという証拠」という締めくくりは陳腐とさえ言えます。これは単に自身の個人的感情から出てきた感想と思えます。

何度も書きますが、iPhoneはケータイ(日本の、所謂ガラパゴス携帯と言われる)ではそもそもがないのです。おなじククリに入れて比較してはダメだったのです。そこが彼女が大きく間違えている所です。彼女がケータイにもどった事はこれは必然であり、彼女にとってはそちらの方が合っていると言うことには全く持てその通りだと思いますし、仮に相談されたら私はそのようにアドバイスした事でしょう。

これは別視点からですが、彼女が気がついていない点がもう一つ。彼女がメリットだとしているケータイの利点の数々を未だに利用していない人は実は数多くいます。自身のケータイの使い方が全てだと勘違いしている事に気がついていません。本当に単なる携帯の電話機としてしか使っていなかった人(使えていなかった人)等は意外とiPhoneから電話機以外の使い方が出来るようになったと聞きますし、マニュアルを読まずして使えるそのインターフェースの良さはそういう所謂「ケータイ」のククリ層にも浸透しています。ただこれは電話機+メールだったり、電話機+計算機だったりメモ帳だったりというぐらいの簡単な使い方かもしれませんが、マニュアルを読まないと中々出来なかったケータイでは成しえなかった事として特筆すべき事ではあるともいます。純然たるiPhoneの使い方とはちと違いますが。

で、ケータイとiPhoneの(ククリの)違いに戻りますが、例えば車で例えるならケータイは日本の車です。右ハンドルでオートマで優秀なナビもついて、パワーウィンドウで、何でもありで運転に困ることなど皆無です。運転する事を目的に車を求めているなら普通に日本車にすれば良いんです。

iPhoneは違う。必要とする機能を組み込める。極端な例えですが、タイヤは付いているがその骨格だけだと思ったほうが良いです。組み合わせによっては戦車にもなるし、列車にもなる、ハマーに多種多様な計測器を付けたマニアックな車にもなるし、報道用の中継車ににだってなりえる。10tトラックにもなる。。。 そう考えるとどうでしょう、普通の車を欲していた彼女が、いや彼女にとってはクラウンクラスの日本車を求めてはいたのでしょうけれど、それでも武骨な計測器を備えてでかくて小回りの利かないハマーはさぞ苛々したことでしょう。

この比較、古い方なら記憶にあると思いますが、「ワープロ専用機」と「パソコン」の比較を思い起こさせます。当時の話でいうなら彼女はワープロ専用機で良かったのです。当時のパソコンと当時のワープロソフトより、ワープロとしてはワープロ専用機の方が優れていましたし、プリンタだってディスプレイだって専用で内蔵です。一方パソコンはプリンタもディスプレイもソフトウェアもIMも選べる自由があります。更に言うならそのまま他に使い回せる利点もあります。それぞれにそれぞれの利点があります。ワープロとしてパソコンを比較するのは土台が間違っています。それと全く同じこと。そんな事をふと思い出しました。

結論。タイトルは「iPhone、私には合いませんでした」が良かったのだと。

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