「終わらない人 宮崎駿」の反響が結構あるねぇ。。。(チラ裏な雑記)

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宮崎駿そのものというより、番組中の例の、ドワンゴ会長が宮崎氏から不快感を顕にされているシーンに関してだが・・・。色々と感想があちらこちらでアップされる中、特に気になったのがこのエントリー。いや、感想は人それぞれだから良いのだが、さすがにこれは・・・ってことで。

(以下、特定の記事に対しての話なので、読みたくない方はスルーしてください)

ドワンゴ川上氏への「極めて不愉快」発言は宮崎駿氏が圧倒的におかしい

 

詳しくはご自身で読んでいただくとして、要約すると

宮崎氏は、「毎朝会う、身体障碍の友人のことを思い出して、面白いと思えないですよ。極めて、なにか生命に対する侮辱を感じます」と強い口調で川上氏へぶつけた。

私は、この件について、宮崎駿氏に対して強い疑問を持った。あなたこそ、他人の仕事を侮辱しているのではないのですか?

色々と説明されているが、つまりは言いたい事はそういう事。どの年代の方がこの記事を書かれているのかは定かではないが、個人的にドワンゴ会長と同じく何かが違えていると思えてならない。「仕事」とはどれだけやったか、どれだけ頑張っているかではない。どんな成果をもたらしてくれるか、だ。そしてその仕事の評価は本人ではなく他人がするものだ。仕事の頑張りや信念を評価して欲しいという人が若い世代を中心に増えてきている気がする。学校じゃないんだから、価値にないものに対価は発生しない。あのシーンをみて「他人の仕事を侮辱している」と感じるようではダメなのだ。

ちなみに、あのシーンへのドワンゴ会長への私の怒りは宮崎氏をはるかに凌駕するものだ。五体満足ではないものを、下等生物であるかのように、下に見ているかの感覚に怒りを覚えない方が難しい。が、宮崎氏は一定のところで技術自体は評価しつつ、怒りを抑えたのかと思う。仕事を侮辱したのではない、そういうものを嬉々としてプレゼンする事に腹を立てたのだ。もっと違う見せ方があったろうに。

もう一つ重要なポイント

宮崎氏が憤慨して一通り言い終わったあと、追随するかのようにこう言い放った。

どこへ、たどり着きたいんですか?

まるで「なぜあなたたちはこんな無意味なことをやっているのか?」とでも言いたげな、冷たい一言だった。

私はこの一言が、非常に気になった。

宮崎氏の意向に沿って発言するまさにイエスマンのようなコメント。鈴木氏が、このコメントを発する必要はあったのだろうか?

いや、あったのだ。あれは何をどうみてもイエスマンのコメントでは決してない。鈴木氏のあの言葉は鈴木氏の長年のプロデューサーとしての重みのある言葉だ。

そもそもあのプレゼンは人工知能に絵を描かせたら・・・という事で興味を持った人たちが集まったはずで、なぜあれを表示したのかが疑問である。宮崎氏の世界は、もののけ姫でもそうだしナウシカでもそうだが、あらゆる立場の人も、獣も、もののけも、それぞれがそれぞれの立場で正義と思うことをやっている。そこには基本、優劣などはなく関わりがあるのみだ。感情も痛覚も何もないただ動くだけの、かつ、地球上の生物の連鎖に関係のない、あの物体に価値を見出せという方がまちがっている。だから「で? これはなに? 人工知能に絵を描かせるところに持っていきたいという夢にあふれた話は?」ということだ。全くもって私も同じ言葉が出た。

うーん。。。この記事を書いた方とはそもそもの価値観が違うのだろうか。こうも感覚が違うとびっくりする。

単純に面白い、ゲームとして使えそう、お金を産みそうな「素材」求めるのと、素晴らしさなどの「価値」を求めるのではそもそもが違う。もちろんジブリが求めているのは後者であって、鈴木氏の「どこへたどり着きたいんですか?」というのはそういう事だ。

うちの宮さんが気に入らないものを持ってくるんじゃない、とでも言いたげな、明らかに上から目線の、とても辛辣な、愛のないコメントだと思った。

のような、薄っぺらな言葉を吐くはずが、そもそも無い。平たく書けば「若僧よ、その技術をこんな使い方すんじゃねぇよ!なにか忘れてねぇか?!」って事だよ。

それぞれの立場のそれぞれの倫理観をどちらかに偏る事なく丁寧に描いてきた宮崎氏。それをプロデューサーとして見てきた鈴木氏。そもそもの倫理観がないように見受けられる「この動き気持ち悪くて良いでしょ?」という言葉。それは技術に対して向けられた言葉ではないことぐらい気がつかないのだろうか。。。

私はこの一連のシーンを観て、東日本大震災のおり、遠方から支援をしたいと申し出てくれたデザイナーが出席した席で「なにもかにもがめちゃくちゃになっちゃった。でも、あえて笑い飛ばせるように、【めちゃく茶】というお茶を販売するというのはどうでしょう!」と言い放たれたのに吐き気がし、我慢がならず、そうそうに帰ったことがあった。きてくれた事には感謝の念はあったが、同時に、あぁ、当事者じゃないってことはこういうことなのだなと実感した。解ってもらえないのだ、気持ちが。想像をはるかに超える次元の悲しみがあることが。心を交わせていない、実感できていない、頭だけで考えるとこういうことが起きる。

宮崎氏が言った「友人が・・・」という部分。冒頭の「友人」というところに一番注目して欲しい。友人なのだ、ささやかだが心を交わしているのだ・・・。それはもう自分の中のことの一つなのだ。

にしても・・・はぁ・・・。こういう記事をみかけると、ため息が出るねぇ。。。

1件のコメント

  1. 全く同感です。

    この番組、生で観ました。
    あのシーンには衝撃と共に強烈な痛みを感じました。
    それにも増して、「面白い動きができた」などと言い放つ若者たちに心の底から嫌悪感を覚えました。
    この人たちは、いずれ成長して人の痛みを理解するようになるのだろうか?
    そうなって欲しい・・・
    ま、そんな期待を抱くのは、私が嫌悪感を抱き続けたくないからなんですけどね。

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