「阿弥陀堂だより」と「タイマグラばあちゃん」(チラ裏な雑記)

北林谷栄が好きだ。大誘拐の時も良いなぁと思ったけれど、阿弥陀堂だよりの北林谷栄はすごく良い。Amazonプライムビデオで見つけて、久々に観て涙し、心がスッと軽くなった。

ふとなんとなしに「阿弥陀堂だより」で検索してYahoo!映画のレビュー記事を読んでいると高評価に混じって低評価なレビューも多い。感じ方や趣味は人それぞれだから単につまらないと思うのは別に良いのだが、こういうところには必ずいる知った風な事を書くやつがいる。この田舎は嘘だとか、空々しいとか、きれい事ばかりだとか・・・。中には実際の田舎を体験した事もないと自身で書きつつ理論で田舎とはこうじゃないとかいているやつもいたりで、あんたらが感じた空々しさや苛々した感じの何倍もの空々しさや苛立ちをレビューで感じたよ、と言ってやりたい。

こういう田舎、知らないのだろうな。こういう田舎や風景、心象、ありますよ、実際に。夕焼け小焼けを歌うシーンがあり得ないというのもあったけど、それもあるな。都市部では絶対に無いだろうけど。平成になる前の昭和の時代にはあったのだ。この映画は2002年公開。その10年前ぐらいにはあっただろうから不自然では無い。時代に取り残されたように生きている老婆と、現代の組み合わせ、も、現実にある。

 

「阿弥陀堂だより」が伝えたかったのは少なくとも薄っぺらな「田舎は良いよ」とかそういう事では無い。全く毛色は違うが片岡義男の小説がそうであるように、淡々と静かに進む日常のちょっとした変化のストーリーそのものの描写を通して極小さな事をなげかけているだけだと私は思う。音楽や風景は心象として添えてあるに過ぎない。「阿弥陀堂だより」で感動し涙する人と、そうでない人の違いは、その場所に自分が存在しえるかどうかだ。リアルさよりも心象の方を大事にしているから、自身の(少ない)経験や(足りない)認識と比べてリアルさがないと感じて入り込めなかった人と、田舎を全く知らず先入観なしに入り込めた人、心象が自身の記憶と合致した人にわかれたのかも知れない。くりかえすが山村の美しさは単なる一面であり主人公夫婦の心象に過ぎない。もっと言えば本当の主人公はおうめさんであり、伝えたい事は広報の阿弥陀堂だよりだ。それを夫婦の目と心を通して観ているだけなのだと思う。だから感動し涙する人は、きっと、おうめさんの言葉が心に響くのだ。

ここでもうひとつ、「タイマグラばあちゃん」。岩手の早池峰山の麓で暮らした老夫婦を40年近くに渡って記録したドキュメンタリー映画だ。そこには現実があるのみである。圧倒的だ。何一つの嘘は無い。海外で数々の賞をとったのだそうだが、そんな事はどうでもいい。ストーリーも、生き様と言えるようなカッコいい物も、何一つ無い。そこには淡々と、ほんとうに淡々と静かに暮らしている姿があるのみだ。フィルターも誰かの目を通す事も一切無い。ありのままだ。(ちなみに2006年公開だから「阿弥陀堂だより」よりも後だ)涙することは無いが、なんだろう、心が強く強くわしづかみにされ、そして何かが突き刺さる。はたして先述のレビューの方々に突き刺さるだろうか。

「阿弥陀堂だより」「タイマグラばあちゃん」どちらも私は良い作品だと思う。心象を大事にし脚色を加えた前者と、ありのままの後者。どちらも何かを薄っぺらく語りたいのではなく、観てもらいたかったというだけなのだと、私はおもうが。。。

 

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